ラオスといえば観光の定番は
首都ビエンチャン
古都ルアンパバーン
バンビエンなどですが
個人的にとても印象的だったのが
北部シェンクワン県。
ラオス内戦の激戦地であり
アメリカ軍に投下された不発弾が大量に残っている場所。
戦争の歴史がとても伝わってきます。
もくじ
シェンクワンへのアクセス方法
私たちJICA関係者が認められているアクセス方法は
安全上の理由から
ビエンチャンからラオスエアラインのみ。
飛行機で
ビエンチャンから飛行機で約30分
ラオエアライン→往復110万キープ(140ドルくらい)
ラオスカイウェイ→往復80万キープほど
ラオスカイウェイで使用されている機体
中国製のMA60は墜落実績ナンバー1です。
高くてもラオエアラインで行くのがおすすめ
バスで
ビエンチャンからバスで10時間ほど。
ルアンパバーンからで8時間ほど。
私たちはバスでシェンクワン行きも禁止。
バックパッカーや現地ラオス人は
バスに乗っている人も結構いますが、
特に雨期は危ないです。
安全を考えるなら
飛行機で行きましょう。
市内への行き方
空港からトゥクトゥクで県庁所在地ポンサワンまで15分ほど
約20000キープ
市内にも基本的にトゥクトゥクがいます。
シェンクワン観光の仕方
ホテルやレストランが集中しているのは
県庁所在地ポンサワン。
市内中心部は歩いても見て回れますが
主な見所は郊外なので
旅行会社ツアーを申し込んだり、
車チャーターがオススメ。
県都ポーンサワンを中心に
南西方面のムアンクン方面、
北東方面のムカンカム方面に分けて
二日かけてツアーで回るのが一般的だそう。
見所
ジャール平原
壺の遺跡群です。
世界遺産候補にもなっているそう。
サイト1、2、3とあります。
私が行ったのはサイト1
サイト1は市内からトゥクトゥクでも行けますが、
サイト2、3は遠いのでツアーを申し込むか、
車をチャーターしよう。
誰が作ったのか、
どうして作られたかは
わかっていないジャール(壺平原。
お墓の説が一番有力なのだとか。
ジャール平原でで印象に残ったのは
戦争の爪痕。
塹壕
クレーター
戦闘に使われた掘
不発弾徹去の跡
石に書かれたMAGという文字
MAGはイギリスの不発弾撤去の団体です。
この石があるところは不発弾を撤去した跡。
指定された道以外外れないよう注意しましょう。
UXOビジターセンター
UXOも不発弾を処理する組織。
不発弾関係の展示物、本やビデオがあったり
モン族の小物も購入可能です。
その他の見どころ。
私たち JICAボランティアは行動範囲が限られているため、
行けるのはジャール平原のサイト1のみ(涙)
でもラオス在住者から聞いた
見所を紹介します。
ムアンクン
オールドキャピタルとよばれ
以前はシェンクワンの中心だった場所。
1968年のアメリカ軍の爆撃で
崩壊したワットピアワットとか
16世紀に建てられたタートフーン
この中に宝が保管してあったのに
中国人に奪われたらしい。
ナーピア村(スプーンビレッジ)
ルアンパバーンやビエンチャンでも売られている
爆弾の残骸を材料に作られたキーホルダーやスプーン
これを生産している村です
ノーンペット村(モン族の村)
シェンクワンには
モン族がたくさん住んでいます。
彼らの家の柱などに爆弾の殻が使われています。
ムアンカム
県庁所在地ポンサワンから北に50キロの町。
・タムピウ洞窟
ラオス内戦時、市民が避難生活を送っていた洞窟。
1968年アメリカ軍が洞窟に
ロケット爆弾を仕掛け、
300人以上の人が亡くなったそう。
・温泉
レストラン、マッサージ施設も併設。
シェンクワンに来て感じたこと
不発弾が自分が思っていたよりも
ずーっと身近だったのが超衝撃でした。
ラオスに2年近くいて
本も読んで博物館も行って
博物館に関してはこちらの記事で
歴史上、一人当たりの爆撃が最も重い国、知っていますか?
シェンクワンに住んでいる隊員の話聞いて。
不発弾について知ったつもりになっていました。
車でジャール平原に行く途中
「ドーン!!」
という不発弾撤去の音も聞こえて来て。
え、こんなに市内に近い場所で??
と衝撃。
不発弾はとっても身近で
でもその土地で暮らしている人もたくさんいるんだーて実感。
市内に近い場所でさえまだまだ不発弾は残っていて。
そこには青年海外協力隊や外国人、
もちろん現地の人もたくさん暮らしていて
毎日撤去に行っている人がいて。
知ったつもりになっていたそれまでの自分が
本当に恥ずかしくなりました。
本を読むだけでなく
自分の足で確かめるって大事ですね。
ぜひラオスに来て時間があったら
シェンクワンに行ってみてください。
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