私は協力隊受験に関して親には一言も話していませんでした。
理由は受験前に否定的なことを言われたら
モチベーションがさがるから
わたしには無理なんだ、、ってあきらめてしまうから
もう合格して引き返せないところで伝えたかったから
そんな私が協力隊のことを伝えたのは合格から2週間後笑
遅い、、
この間には職場の上司にも伝えてありました
説得の方法は、、、
事後報告です!笑
そして「協力隊行こうと思うんだけど、、、」
ではなく、
「協力隊に行きます」
と相談ではなく、報告することが大切です。
もちろん心配かけるのは申し訳ないですが、
あなたの人生なので、あなたが決めることが大切です。
ただし、奥さんやお子さんがいらっしゃる方は
もちろんきちんと相談してくださいね。
私が報告した時の話をしたいと思います。
両親に電話
まず木曜日の夜実家の親に電話
「明日の夜行バスで石川県(実家)帰るから」
当時神奈川県で働いていました
電話じゃなんか嫌で直接話したかったんです
お盆と正月以外と結婚式以外は
帰省したことなかった私
当然親は「え?何かあったの?」
と心配そうな声
それを無視して
「とりあえず帰るから~」
とその時は何も話さず
後から聞いたら
「結婚の報告か」
とおばあちゃんは喜び
「ついにお金がなくなったんじゃないか」
と親は思っていたそう
おばあちゃん、結婚の予定がなくてごめんよ、、、
帰省
土曜日の朝いざ石川についたけど
まったく言い出せず、、、
関係のない話をしていたら
テレビに世界遺産白川郷が、、
いいな~行ってみたいな~
と一言いうと行くか?
とお父さん笑
白川郷日帰り旅行へ、、
きっと私が元気ないと思ったのか、
お父さん、優しかった笑
一日観光を楽しみ
帰りの車でうとうとしていると
私が寝たと思い、
「思ったより元気そうだね」
と前の席でお父さんとお母さんの会話
違うんだよーー落ち込んでるんじゃないんだよー
と心の中で思いながら帰宅
晩ご飯の席でも
そのあとテレビを見ているお父さんを前にしても
言い出せず、、
やっと親に報告
明日(日曜日)には神奈川帰るし
今日中に言わなければ、、!!!
気が付けば両親は寝室へ行ってしまい、、
いわなきゃ!ともう電気も消していた両親の部屋へ、、
「お父さん、お母さん、私これに行こうと思う!」
とJICAから送られてきた書類を差し出しました
今思うと大大大迷惑ですねーー
もう寝る大勢だった両親はこれにびっくり
当たり前か
「なんでもっと早く言わないんだ!!!!」
キレるお父さん、ごもっとも。
とりあえず明日ね、もう寝るから。
という一言が。
でも私の部屋は両親の部屋の真上にあり
話声が聞こえるんです
夜な夜なわたしについて話しているのが聞こえてきました
親の反応
翌朝どきどきしながら起きると
書類(JICAから、要請内容や手続きが書いてある書類)
を読んでいる両親
そこでお母さんの一言
「行くなって言っても行くんでしょ」
この一言にとっても驚きました
だって私の親、特にお母さんには反対されると思ったから
治安は?お金は?ありきたりな質問に答えられるよう構えていったから
さきは昔からそう、行くなって言っても行くから
両親は私が思っている以上に、私のことを理解してくれていたようです
そういえば昔からそうだったなーと思いだすわたし
お父さんからの一言
「行くのはいいけど、帰ってきてからそうするんだ」
またまた意外な一言。
えーー治安じゃないの?娘が途上国に行くのに!
行くのはいいんかい!
お父さんは私と違い、頭がよくて教養もある人なので(元教師)
ラオスの現状や協力隊体制についてよーーく知っていました
逆にお母さんはイメージで判断するタイプ
治安を心配するお母さんに
「協力隊は本当に危険なところに派遣されるわけではない」
「数十年前とは違い(ラオス内戦時代)
今ラオスは安定している」
ああ、お父さん大好き!
でも、
「帰国したとき28歳だろ。28歳の女が就職先なんてないぞ」
と頭をかかえるお父さん
「教員免許取り直して先生になったらどうだ」
「帰国して公務員試験受けたらどうだ」
親が一番心配だったのは帰国後の進路
特に石川県のなかでもかなりの田舎にある私の実家
そこでの就職先のなさ
が心配だったよう
公務員もいいかもねーなんて言いながら
でももう時間がなく、きちんと話できなかったけど神奈川に戻った
神奈川に戻って
協力隊にいく!といい逃げになった気がして
もやもやして過ごしていました。
その後
それから一週間後くらいに両親から電話
「手続きはちゃんと進んでるのー?」
とお父さん
そこで初めて
協力隊参加を認めてくれたんだーー
って実感がわいて、すーーっと気持ちが楽になって
電話切って涙がでました。
私は昔から両親と仲は良いけど
向き合って話すのが苦手
進路とか、、、
言い訳だけど、
私の両親はいつも
「もし部活でレギュラー取れなくてもがんばれ」
「もし高校落ちても滑り止めの○○高校でも」
とか、たぶんわたしを安心させようとして
私がやる前から「できなくても、だめでも」
そういうことを言われ続けてきた
だから否定の言葉を聞くのが嫌で
自分にはできないって思っちゃいそうで
きちんと話すのが苦手だった
でもこれからはきちんと話していきたいな
後日談でお兄ちゃんから聞いた話
お父さんはやっぱり私が心配で
私が神奈川へ戻ってすぐ、お兄ちゃんに電話したみたい
間接的に聞くと両親に心配かけているという思いが
ずんってきた
ラオスに来て思うこと
今私にできることを精一杯したい
両親に手紙を書い
写真送って
電話して
楽しんでる様子を伝えて
一時帰国制度を利用して元気な姿をみせること
今はもう応援してくれています
お母さんもいつラオスに行こうかなーなんて言ってくれています
さきがラオスに行かなかったら、ラオスっていう国さえ知らなかった
そういってもらえるだけですごーく嬉しい
そして帰国したら親孝行したいなーと思います。
もし周り人に反対されて悩んでいる人がいたら、
他の人の意見ではなく、
あなたがどうしたいか
を考えるといいんじゃないかなと思います^^
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